なぜ私は不便なマニュアルフォーカスを選ぶのか:AFを捨てた理由

なぜ私は不便なマニュアルフォーカスを選ぶのか:AFを捨てた理由

AFが当たり前の時代に

現代のカメラは、驚くほど賢い。

瞳を認識し、追尾し、ピントを合わせ続ける。動く被写体でも、暗い場所でも、カメラが勝手にピントを合わせてくれる。

私はその恩恵を知っている。Nikon Zfには優秀なAFが搭載されている。使おうと思えば使える。

だが、私はあえてMFレンズを選んでいる。

Voigtländer Nokton Classic 40mm F1.4。Carl Zeiss C Sonnar T* 1.5/50。Light Lens Lab 35mm f/2。私のレンズはすべてマニュアルフォーカスだ。

なぜ、便利なAFを捨てて、不便なMFを選ぶのか。

ピントを「合わせる」という行為

MFでピントを合わせるとき、私は被写体を「見て」いる。

ファインダーを覗き、距離リングを回し、像が鮮明になる瞬間を探す。その過程で、被写体の表情、光の当たり方、背景との関係性を確認している。

AFは違う。シャッターを半押しすれば、ピントは勝手に合う。便利だ。だが、その便利さの代償として、何かを失っている気がする。

それは「被写体と向き合う時間」だ。

MFでピントを合わせる数秒間、私は被写体だけを見ている。その集中が、写真に反映されると信じている。

レンジファインダーという体験

Leica M Typ 240のレンジファインダーでピントを合わせるとき、独特の快感がある。

ファインダー中央に二重像が見える。距離リングを回すと、二重像が近づいたり離れたりする。ぴたりと重なった瞬間、ピントが合っている。

この「重なる」という感覚が、たまらなく好きだ。

EVFやライブビューでは、像がぼやけているか鮮明かで判断する。だが、レンジファインダーは違う。二重像が「重なる」という、デジタルでは再現できない感覚がある。

しかも、レンジファインダーは被写界深度に関係なくピントが分かる。F1.4でもF8でも、二重像の重なりは同じ精度で見える。

これは光学ファインダーならではの利点だ。

EVFでのマニュアルフォーカス

Nikon ZfでMFレンズを使うとき、EVFが強力な味方になる。

フォーカスピーキング機能をオンにすると、ピントが合った部分が色付きで表示される。私は赤に設定している。距離リングを回すと、赤いエッジが被写体の輪郭を縁取る。

また、拡大表示も使える。ファインダー内で画面の一部を拡大し、精密なピント合わせができる。

レンジファインダーとは違う「見え方」だが、これはこれで楽しい。

特に、開放で撮るときのEVFは独特だ。Nokton 40mmの開放では像が滲む。その滲みがEVFにリアルタイムで表示される。ピントを合わせながら、光が滲んでいく様子を眺める。これは光学ファインダーでは体験できない。

ゾーンフォーカスという選択肢

MFには、もう一つの使い方がある。ゾーンフォーカスだ。

Nokton 40mmの距離リングには、被写界深度の指標が刻まれている。F8まで絞れば、2メートルから無限遠までパンフォーカスになる。

つまり、ピントを「合わせない」という選択肢があるのだ。

距離リングを3メートルに固定し、F8まで絞る。あとはシャッターを切るだけ。ピント合わせの時間はゼロ。AFよりも速い。

ストリートスナップでは、この機能が決定的に重要だ。カメラを構えた瞬間にシャッターを切れる。被写体に気づかれる前に、撮影は終わっている。

MFは「遅い」というイメージがあるかもしれない。だが、ゾーンフォーカスを使えば、AFより速くなることもある。

距離感を体で覚える

ゾーンフォーカスを使い続けると、距離感が体に染みついてくる。

3メートル先の人物。5メートル先の風景。10メートル先の建物。目で見て、距離を推測し、距離リングを設定する。

最初は外れることもあった。だが、半年も続けていると、かなり正確になる。

この「距離感を体で覚える」という体験は、AFでは得られない。AFは距離を測ってくれるが、撮影者は距離を意識しない。MFは、撮影者自身が距離を判断する。

その結果、被写体との距離感が、より鮮明に意識されるようになる。

「あの人は3メートル先にいる」という認識が、構図や表現に影響を与える。これは、言葉では説明しにくい感覚だ。

不便さの中にある集中

MFは不便だ。AFより時間がかかる。ピンボケのリスクもある。

だが、その不便さの中に、集中がある。

AFでは、ピント合わせはカメラに任せて、構図だけを考えればいい。効率的だ。だが、その効率性は、撮影体験を「分断」している。

MFでは、ピント合わせと構図決めが同時に進行する。距離リングを回しながら、被写体を見て、背景を確認し、シャッターを切る。すべてが一連の動作として繋がっている。

この「繋がり」が、撮影への集中を生む。

私は、この集中した状態で撮った写真が好きだ。技術的に優れているかどうかは分からない。だが、撮影時の集中が、写真に宿っている気がする。

オールドレンズとMF

私がMFレンズを選ぶもう一つの理由がある。オールドレンズだ。

Voigtländerの現行レンズは「オールドレンズ風」の設計だが、中身は現代的だ。だが、C Sonnarは1932年の設計を復刻したもの。Light Lens Labは1958年の8枚玉Summicronの復刻だ。

これらのレンズは、AFが存在しなかった時代に設計された。MFで使うことが、設計者の意図した使い方だ。

AFアダプターを使えば、オールドレンズでもAFが使える。だが、私はそれを選ばない。

オールドレンズをMFで使うとき、私は設計者と「対話」している気がする。彼らが想定した撮影体験を、そのまま追体験している。

AFを否定しているわけではない

誤解しないでほしい。私はAFを否定していない。

動体撮影では、AFが圧倒的に有利だ。子供の運動会、スポーツ、野生動物。これらの被写体には、高速で正確なAFが必要だ。

また、仕事で撮影する場合も、AFの方が確実だ。ピンボケは許されない。クライアントに「MFで撮ったのでピンボケしました」とは言えない。

私がMFを選ぶのは、趣味の撮影だからだ。ピンボケしても、誰にも迷惑をかけない。自分が楽しければ、それでいい。

その「楽しさ」を追求した結果、MFに行き着いた。

どんな人におすすめか

MFをおすすめできる人

  • 撮影体験を重視する人。結果だけでなく、プロセスも楽しみたい人。
  • ゆっくり撮影したい人。一枚一枚に時間をかけられる人。
  • オールドレンズに興味がある人。MFはオールドレンズの基本。

MFをおすすめしない人

  • 動体撮影がメインの人。AFの方が圧倒的に有利。
  • 確実性を求める人。仕事での撮影にはAFが安心。
  • 効率を重視する人。MFは時間がかかる。

不便さを選ぶということ

便利じゃない理由には、だいたい意味がある。

MFの不便さには、集中、体験、対話という意味がある。

AFは便利だ。だが、便利さの代償として、何かを失っている。私はその「何か」を取り戻したくて、MFを選んでいる。

ピントを合わせる数秒間、私は被写体だけを見ている。その集中が、写真に宿ると信じている。

だから私は、今日もMFレンズを手に取る。

今回紹介したレンズ

Leica Mマウント用。開放F1.4の明るさと、コンパクトな鏡筒。ゾーンフォーカスにも最適。

¥44,091 (記事作成時の価格です)

rakuten.co.jp

1932年のゾナー設計を現代に復刻。MFでこそ楽しめる開放の描写。

¥104,456 (記事作成時の価格です)

rakuten.co.jp

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松本 幹也

不便さを愛し、収差を「絵筆」として使う哲学者。コシナレンズとLeicaを愛するSIerインフラエンジニア。

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