Leica M Typ240を半年使って分かったこと。不便さの先にある豊かさ

Leica M Typ240を半年使って分かったこと。不便さの先にある豊かさ

半年経って、ようやく書ける

Leica M Typ240を手に入れてから半年が経った。

正直に言うと、最初の1ヶ月は「これ、本当に正解だったのか」と何度も自問した。ピントは合わない、露出は外す、シャッターチャンスは逃す。Nikon Zfで撮っていた頃の歩留まりが嘘のように、失敗写真が量産された。

でも今、このカメラを手放す気は微塵もない。

なぜLeicaだったのか

Nikon Zfでは満たされなかったもの

Zfは素晴らしいカメラだった。オールドレンズを付けて撮る楽しさを教えてくれたのは、間違いなくこのカメラだ。

でも、どこか「借り物」の感覚が拭えなかった。

Zfのボディにマウントアダプターを介してMマウントレンズを付ける。光学的には問題ない。でも、レンズとボディの間に挟まる金属の塊が、どうしても気になった。

設計思想の異なるものを、無理やり繋いでいる感覚。それは、僕にとっては小さくない違和感だった。

「枯れた」という選択

M Typ240は2012年発売。センサーは2400万画素のCMOS。今となっては平凡なスペックだ。

最新のM11は6000万画素。裏面照射。高感度も強い。カタログスペックで比較すれば、Typ240を選ぶ理由は見当たらない。

でも、僕はあえてTyp240を選んだ。

理由は単純だ。「枯れている」からこそ、信頼できる。

10年以上、世界中のフォトグラファーに使い込まれてきたボディ。弱点も限界も、すべてが明らかになっている。未知の不具合に怯える必要がない。

それは、インフラエンジニアとして「枯れた技術」の価値を知っている僕には、むしろ魅力的に映った。

半年使って分かったこと

レンジファインダーの「儀式」

Leicaを使うことは、一種の儀式だ。

ファインダーを覗く。二重像を合わせる。ピントリングを回す。シャッターを切る。

EVFのように、ピントが合っているかどうかを機械が教えてくれるわけではない。自分の目で判断し、自分の指で操作する。その一連の動作が、撮影という行為に「重み」を与える。

Leica M Typ240で撮影した田舎道の作例
Leica M Typ240の描写。滲みではなく、空気感として写る Photo by madras91 / CC BY 2.0

最初は面倒だと思った。でも今は、この儀式がないと物足りない。

ピント精度という幻想

「レンジファインダーは精度が低い」とよく言われる。

確かに、AFのように毎回同じ精度でピントを合わせることはできない。でも、それは本当に「問題」なのだろうか。

僕は40mm F1.4を開放で使うことが多い。被写界深度は浅い。ピントが少しでもずれれば、意図した場所がボケる。

でも、そのズレが「失敗」になるかどうかは、撮り手の意図次第だ。

眼にピントを合わせようとして、睫毛に合ってしまった。それを「ミス」と捉えるか、「表現」と捉えるか。その判断を、僕は機械に委ねたくない。

2400万画素で十分だった

正直、画素数の不足を感じたことは一度もない。

A3にプリントしても、十分な解像感がある。等倍で見れば粗はあるかもしれないが、そもそも等倍で見る必要があるのか。

むしろ、ファイルサイズが適度に小さいことのメリットを感じている。ストレージを圧迫しない。Capture Oneでの現像も軽い。

最新のカメラが6000万画素を謳う中で、「十分」という判断ができること。それは、写真を撮る上での一つの自由だと思う。

正直に言う、困ったこと

暗所でのピント合わせ

これは本当に厳しい。

レンジファインダーの二重像は、光がないと見えない。街灯程度の明かりでは、ピント合わせに時間がかかる。動く被写体は、ほぼ不可能だ。

夜のスナップを撮りたいなら、素直にZfを持ち出す。適材適所という割り切りが必要になる。

動体は諦める

走る子供、飛ぶ鳥、近づいてくる車。そういった被写体には、このカメラは向いていない。

レンジファインダーでの動体撮影は、熟練者でも難しい。僕のような素人が半年程度で習得できるものではない。

でも、それでいい。このカメラに「万能」を求めてはいけない。

メンテナンスコスト

Leicaのメンテナンスは高い。

レンジファインダーの調整、シャッター幕の交換、どれもそれなりの費用がかかる。正規サービスに出せば、数万円は覚悟する必要がある。

これは「高級品を所有するコスト」として、受け入れるしかない。

Nokton 40mm F1.4との相性

このカメラには、Voigtländer Nokton Classic 40mm F1.4を常用している。

40mmという焦点距離は、35mmより少し狭く、50mmより少し広い。中途半端と言えば中途半端だ。

でも、その中途半端さが、僕には心地いい。

35mmほど「撮らされている」感じがしない。50mmほど「切り取っている」感じもしない。見たままを、見たように撮れる。それが40mmの魅力だと思っている。

開放のボケは、滲むように柔らかい。収差と言えば収差だが、僕はこれを「水彩の滲み」として愛でている。デジタル補正で消してしまうのは、あまりにもったいない。

結局、Leicaは誰のためのカメラか

万人向けではない。それは間違いない。

AFがないと撮れない人には向かない。動体を撮りたい人にも向かない。コスパを重視する人には、論外だろう。

でも、撮影という行為に「手触り」を求める人には、これ以上のカメラはないと思う。

金属の質感、ヘリコイドの滑らかさ、シャッターの音。すべてが「道具」としての完成度を物語っている。

そして何より、「撮る」という行為に向き合う時間が、圧倒的に濃くなる。

便利じゃない。効率も悪い。でも、その不便さの先に、確かに「豊かさ」がある。

半年経って、ようやくそれが分かった気がする。

こんな人にはおすすめしない

  • AFがないと撮影できない人
  • 動く被写体を撮りたい人
  • コストパフォーマンスを重視する人
  • 最新のスペックが気になる人

こんな人にはおすすめする

  • マニュアルフォーカスの「儀式」を楽しめる人
  • 道具としての質感を重視する人
  • 撮影枚数より、1枚の密度を大切にしたい人
  • 「不便さ」に意味を見出せる人

Leicaは、そういう人のためのカメラだ。

中古で探すなら

新品は高嶺の花だが、中古なら手が届く場合もある。状態の良い個体を見つけたら、迷わず確保することをおすすめする。

レンジファインダーデジタルカメラの名機。中古市場で探すのがおすすめ。

488,800円 (記事作成時の価格です)

rakuten.co.jp

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松本 幹也

不便さを愛し、収差を「絵筆」として使う哲学者。コシナレンズとLeicaを愛するSIerインフラエンジニア。

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